ビーボとはいったい何だったのか     
Topics 全国のVIVO ミュージアム 愛の喫茶室 生き証人 VIVOの歴史 古い自販機 リンク
 「ビーボより美味いのはビーボだけ!」などと強烈なセールストークを残していつしか消えてしまった、ビーボ。今となっては、何でもっと声援を送ってあげなかったのだろうと後悔ばかりが先に立ちます。今から20年ほど前、確かに「ビーボ」というブランドが有って自動販売機も身近にあったはずなのに、今やビーボのコーヒーやジュースはおろか、自動販売機でさえほとんど見なくなってしまいました。果たしてビーボとは何だったのでしょうか。いつ何処でどのようにして生まれ、どうしなくなってしまったのでしょうか。
 さらに詳しい情報をお持ちの方は、ご教授いただければ幸いです。

ビーボ・ジャパン

 自動販売研究所の「自動販売業界名鑑’83」によれば、ビーボ・ジャパン(株)の設立は昭和51年5月となっています。これを確認するために、職業別電話帳と照合してみますと、昭和52年6月1日現在版(自動販売機の項)にビーボ・ジャパンを見つけることが出来ました。一つ前は、昭和50年12月1日現在版ですので、その間に設立されたと考えればつじつまが合います。掲載されている住所と電話番号は、次の通りです。
  ・港区芝公園タイガービル  436−2611
  ・港区高輪 高輪東映ビル  449−0635
タイガービル(住所は芝公園3−5−22に現存する同名ビルと思われる)に本社があったと考えられます。東京タワーが真後ろにあります。
 その後、昭和53年12月1日現在版では
  ・港区芝公園第32森ビル  436−2611
のみ掲載されており、本社が移転しています。第32森ビルは昭和52年5月竣工ですから、竣工時に移転したのでしょう。正確な住所は東京都港区芝公園3−4−30。東京タワーが真向かいに見えます。
 ビーボ・ジャパンの業種については、職業別電話帳には自動販売機の項に掲載されており、「自動販売業界名鑑’83」には自販機販売、中身商品販売とありますが、日本食糧新聞社の「食品業界総合名簿」には、1980〜81年版にかけて「缶コーヒー」の項に掲載され、メーカー扱いになっています。
 ビーボとは、中身商品のメーカーであり自販機のオペレーションも行う、いわゆる兼業オペレータであり、自販機自体のディーラーでも有ります。そして後にゲーム機やサウナまで手がける多角的企業になっていくのです。

ビーボ・フーズ、ビーボーフーズ

 自動販売研究所の「自動販売業界名鑑’83」によれば、ビーボフーズ(株)の設立は昭和51年9月となっています。ビーボ・ジャパン設立の4ヶ月後です。職業別電話帳では1986年(昭和61年)9月10日現在版に見つかるのみで、
  ・千代田区岩本早川トナカイビル 864−1101
それ以前には掲載が無いのですが、ビーボ・ジャパンの設立は確からしいことから、ビーボフーズの設立時期もおそらく正しいと思われます。
 「食品業界総合名簿’82」には、ビーボ・ジャパンの代わりに「ビーボ・フーズ」が出てきます。事業が大きくなるに従って業務の分化が進み、自販機営業を行うビーボ・ジャパン、オペレーションを行うビーボ・フーズという役割が明確になってきたのでしょう。一般的には飲料販売が認知されていたでしょうから「ビーボ・フーズ」に差し換わったものと思われます。
  ・東京都千代田区岩本町2−12−5早川トナカイビル  864−1101  (地図)
しかし、81年製とされるコーヒーの缶の裏には、「販売者:ビーボ・フーズ株式会社、東京都港区芝公園3−4−30」とあり、第32森ビルに本社があったとも考えられます。

 1985年5月、アパレルメーカーであるピーアンドピーの「プレイボーイ」ブランドをつけた「ブレンドコーヒー」などコーヒー飲料4品と「烏龍茶」「バレンシアオレンジ」「プレイボーイ・コーラ」「プレイボーイ・エール」を売り出しました。当時のビーボ・フーズの資本金は2500万円、総売上高は135億円も有ったようです。
 1986年、ビーボ製品の会員宅配制度を本格始動するに当たり、「ビーボ・ファミリー会員」の募集を始め、直接家庭を訪問して会員を獲得する「ビーボ・コミュニケータレディ」を増員しています。

ニュー・ビーボ

 「食品業界総合名簿」89年版には、ビーボ・フーズの名前が無くなり、千代田区岩本町早川トナカイビル(864−1101)同住所同番号で「ニュー・ビーボ」が現れます。職業別電話帳にも1988年11月1日現在版にニュービーボが現れます。再起を図っての社名変更と思われます。

ビーボ・サービス

 埼玉県草加市では、昭和54年から56年の間に「ビーボ・サービス(株)」という会社が現れます(電話帳)。
  ・草加市瀬崎1302  草加28−6221

自動販売機総合サービス

 昭和60年9月14日現在版では、「ビーボ・サービス(株)」と同住所同番号で「自動販売機総合サービス(株)」が現れます。どのような会社なのか、社名変更なのか何なのか、よくわかりません。さらに昭和1986年(昭和61年)9月10日現在版ではビーボーフーズ(株)に変わっているのです。

ビーボ・グループ

 文字通りのVIVOの自販機はもとより、ロッテのアイスクリーム自販機やレシチン入り牛乳の自販機に「VIVO GROUP」の文字があるのを見かけることが出来ます。
 82年頃から森永製菓など大手のアイスクリームメーカーの自動販売機が出始めますが、ロッテはビーボ・フーズ(記事にはビーボーフーズとあり別会社との懸念はあるが、社長名が同じであることからビーボ・フーズと断定する)のルートで試験的に約3千台を設置し、83年は1万台を越える見通しを立てていました。
 また、同じく82年春から首都圏を中心に缶入り牛乳専門の自販機を1000台設置し、北海製罐の「北海道産レシチン入り牛乳」の販売を開始しています。あくまで道外が主体であるとはしながら北海道でも北海道ビーボ(本社札幌市)を通じて販売していたようです。
 このほかにも、ポップコーンやスポーツドリンクなどの販売機に「VIVO GROUP」の文字が残されており、ベスパまで販売していたという情報もあるほどで、華々しく事業拡大していたことが伺えます。

エフ・ヴイ・キャンズショップ

 「食品業界総合名簿」90年版には「(株)エフ・ヴィ・キャンズショップ」が同住所、同電話番号で現れます。吸収合併か社名変更によるものと思われます。石川県加賀市山代温泉のVIVOの自動販売機(020)にはエフ・ヴィ・キャンズショップ管理していたシールが貼ってあります。そのエフ・ヴィ・キャンズショップも1991年、整理会社となったことで91年版を最後に名簿(缶コーヒーの欄)から消えています。

 「エフ・ヴィ」といえば、富士ベンディング(現エフ・ヴィ・コーポレーション)を中核企業とする「エフ・ヴィ・グループ」。エフ・ヴィ・キャンズショップはその一員として屋外の缶飲料自動販売機の設置を担当していました。同社は「CANS SHOP」という名称の自動販売機を設置しており、その名称の自販機は現在でも設置が続けられています。ただし現在のCANS SHOPは「エフ・ヴィ・コーポレーション」がベンディングオペレーションを行っています。
 エフ・ヴィ・キャンズショップは、1988年10月に設立されました。当時は、屋内ではカップ飲料が中心で、屋外は缶飲料という棲み分けが出来ていましたが、次第に屋内でも缶飲料の比率が高まり、分離したサービス体制にメリットが無くなってきたため、1991年4月には屋内担当の富士ベンディングに一本化する方向が固まりました。しばらくは整理会社として存続していましたが、1993年4月にエフ・ヴィ・コーポレーションに正式に統合されました。
 エフ・ヴィ・コーポレーションの本社は1998年現在、東京都豊島区東池袋3−1−1サンシャイン60の22F。資本金2億円、年商400億円で国内・外で自販機による食品の販売・流通を行っていました。

エフ・ヴイ・グループ

 エフ・ヴィ・コーポレーションは、1965年9月に廣瀬篁治(ひろせたかはる)(旧エフ・ヴィ・グループ代表)が(株)ヒロセベンドサービスを設立したのが始まり。その後、1966年1月に富士自動販売(株)に社名変更しました。
 1978年7月、(株)トヨダベンディングと合併し社名を富士ベンディングに改め、以来「B&D作戦(ブランドとディストリビューション)」の理念の下に、1985年8月には大証二部上場の忠勇(株)を、また1988年6月には同じく大証二部上場の丸金醤油(株)の株式を取得し経営に参画するようになります。1986年4月には本社をサンシャイン60に移転し、自販機のエンジニアリング担当会社(株)エフ・ヴィ・イーを設立しました。
 エフ・ヴィ・イーは1990年10月、社名を「アムテック」に変更しています。

 1988年10月には(株)エフ・ヴィ・キャンズショップを設立し、1990年2月にはプリペードカード関連業務を担当するアムカード(株)を設立。プリペードカードによる自販機サービスをスタートさせます。
 1993年4月、エフ・ヴィ・キャンズショップの業務を統合し、同年11月には日本食品興業(株)(旧エフ・ヴィ・ジー)の業務を統合し(株)エフ・ヴィ・コーポレーションとなっています。
 1995年には英国ヴァージングループの「ヴァージン・コーラ」、1996年には吉本興業の「花月のお茶」などの扱いを始め、表向きは華やかに見えていましたが、富士飲料や日本食品興業の特別清算などに見られるように、バブル期に拡大した不動産やノンバンク事業での失敗により多くの負債を抱えていきます。

コカ・コーラグループ

 1998年11月、エフ・ヴィ・コーポレーションはコカ・コーラグループに自販機運営部門の営業権を譲渡しました。引き取ったのはコカ・コーラグループで自販機の運営を手がけるコカ・コーラナショナルベンディング(CCNVC)が100%出資する新「エフ・ヴィ・コーポレーション」。エフ・ヴィ・グループは名前こそ残ったものの、事実上消滅しました。この際移管された自販機の数は約4万台と言われています。
 2000年12月、(新)エフ・ヴィ・コーポレーションの自販機運営部門を全国のコカ・コーラボトラー15社に移管することが決まり、各地域ごとに分割され運営されることになっていきます。

アムテック草加センター

 エフ・ヴィ・イーが社名変更した「アムテック」は、現在草加にその名を残しています。
  ・草加市瀬崎1302−16  草加24−8607
しかもその住所は、ビーボ・サービスがあったところで、ビーボーフーズ(株)草加支店であった場所。1993年8月16日現在版電話帳から掲載されています。



参考資料
・日本食量新聞社「食品業界総合名簿」
・日経産業新聞
・日経流通新聞
・日本経済新聞
・エフ・ヴィ・コーポレーション「経歴書」
・職業別電話帳、タウンページ
・自動販売研究所「自動販売業界名鑑’83」